チベット運動は終わったらしい

日本のテレビや新聞だけでは知り得ないことが、ネットを通して入手できますね。北京五輪前に、あれほど世界でチベット問題が取り沙汰されましたが、その後あまりニュースにもならなくなりました。特に世界が金融危機に陥ってからは、どの国もチベットどころではなくなってきました。しかし、大きな動きがあったのです。ジャーナリストの田中宇(たなか さかい)さんのHP「田中宇の国際ニュース」で知ったのですが、「地政学的な大転換」というらしい。それは、英国の外務大臣が「わが国は、もう中国の分裂を望んでいません(昔は望んでいました)」「チベットの独立には反対です」という「念書」を書いたことです。英国が「以前は、チベットの独立を支持して中国を分裂させるのが英国の戦略だったが、今の英国は、すでにその戦略を放棄した」という宣言をしていたのです。

英国と言うと、日本では紳士の国というイメージですが、とんでもない。歴史的にも策士の国です。中東での英国の二枚舌外交は有名ですが(現在の複雑な中東情勢をつくりだしたもとは、第二次大戦前、同地域を植民地支配していた英国の二枚舌外交に因るところが大きい)、中国とチベットにも二枚舌外交をしていました。思えば、七つの海の覇権を握って世界中を侵略し、カナダからオーストラリア、インドや香港に広がる広大な植民地を経営し、奴隷貿易が代表するような搾取を繰り広げ、大英帝国を建設した国なんですよね。第二次大戦後は、米国の軍産複合体と結託して冷戦を誘発し、もともとは多極型だった米国の世界戦略を、ユーラシア包囲網(中露包囲網)に転換させた英国。

今回の金融危機で米国以上の打撃を受け、財政破綻に近づいている英国。チベットの主権をめぐる態度を、この時期に明確化したのは、中国を新世界秩序の中に引っ張り込み、米経済建て直しの一環として中国の台頭を容認する米オバマ政権と歩調を合わせたようです。米国の覇権衰退の中で、やむを得ず発せられた英国による今回のチベット放棄ということらしい。英国主導のユーラシア包囲網策の一環だった「チベットの独立運動を煽って中国を分裂させる策動」は終焉。英国の従来の世界戦略「ユーラシア包囲網(中露包囲網)」の終焉。田中宇さんは、これを「地政学的な大転換」と言っています。この英国の戦略の転換が、欧米や中国・中東・インド・パキスタンなど世界中に多大な影響を与えつつあるようです。

英国ほどではありませんが、米国も中国もロシアも昔から、すさまじい戦略的外交を繰り広げてきています。かつて、独ソ不可侵条約の締結を見て「欧州外交は不可解なり」と匙を投げた日本人外交官がいましたが、日本は戦略というものを持っているのでしょうか。敗戦後60余年、米国の子分として走って来た日本は、防衛相も外務省も米国の意向に沿った働きしかしてこなかったのではないでしょうか。



田中宇の国際ニュース チベットをすてたイギリス
2008年12月10日  田中 宇

地政学というと「シーパワー対ランドパワー」とか「ユーラシア包囲網」など、スケールの大きな話だ。「文明の衝突」など、軍事的で騒々しい感じの概念でもある。しかし、巨大で目立つイメージとは裏腹に、実際に地政学上の大変動が起きるときには、全く目立たない地味な話として起きる(後になってから、いつの間にか地政学的な大転換が起きたことに人々が気づく)のではないかと思わせる事件が、1カ月半ほど前に、私も気づかないうちに起きていた。それは、英国の外務大臣が「わが国は、もう中国の分裂を望んでいません(昔は望んでいました)」「チベットの独立には反対です」という「念書」を書いたことだった。

 英国外務省(FCO)は10月29日に「チベットに関する大臣声明文」(Written Ministerial Statement on Tibet)を発表した。声明は、11月初めに行われた、中国政府とダライラマの代理との交渉に対しての英政府の姿勢を表明するものとして発表された。声明の前半は「チベットの人々の人権が尊重されることを(中国政府に)望む」といった、従来の英国の姿勢を改めて表明する内容で、新味はない。

▼英国の歴史的策略と二枚舌

声明文の意味については、歴史的な解説が必要だろう。英国は20世紀初頭、地政学的な影響圏の拡大を狙い、中国の清朝政府が衰退してチベットが半独立状態になった状況を利用して、チベットを英国の傘下に入れようとした。当時は、ロシアもチベットへの影響圏行使を模索していたため、英国はまず、1907年にロシアと結んだ英露協商の中に「英露は、中国がチベットに対して宗主権を持っていることを認め、中国の同席なしにチベットと交渉しない」という条項を入れた。

会議では、英国が国境線の草案を出したが、中国は了承せず、決裂した。だが英国とチベットの代表は「中国が一方的に草案を拒否したのが悪い」という姿勢で一致し、英国とチベットの2者のみで1914年7月、英国草案を「シムラ協定」として締結した。さらに、追加文書として「中国がこの協定文に署名しない限り、中国は、この協定に盛り込まれた一切の権利(中国がチベットに対する宗主権を持っていることを含む)を持てない」とする宣言も作った。英国は「宗主権を認めるから」という甘言で中国を誘ってシムラ会議を開いた(中国が同席したのでロシアは反対できない)が、中国が飲めない国境線案を出して、中国を署名拒否・退席に誘導し、中国が帰った後、チベットと英国の間で「(署名しない限り)中国の宗主権を認めない」とする追加宣言を出し、英国が中国を無視してチベットとの国家関係を拡大できる状況を作った。

このような策略をやった英国の責任者は、英領インド外相のヘンリー・マクマホンだった。彼はその後「外交詐欺師」の腕前を買われて中東に担当替えとなり、1915年にアラブ人の代表であるメッカ知事のフセイン・アリに対し、アラブのオスマントルコからの独立を認める「フセイン・マクマホン書簡」という、中東での英国の二枚舌外交の象徴として知られる協定を結んだ。
(後略)

 

 

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