ミャンマーで銃撃されて死亡したカメラマン長井健司さん。
銃弾に倒れてもなお、右手に持ったカメラを離さなかった長井さんの映像を
何回もテレビで見ました。
ご冥福をお祈りしたいと思います。
さて、ミャンマーは1974年までの名称はビルマでしたね。
国境を中国、ラオス、タイ、バングラデシュ、インドと接しています。
ビルマ語では、「ミャンマー」も英語のBurma(バーマ)の由来となった「バマー」も
同じ意味の言葉であり、前者が文語的、後者が口語的に使用されることが多いという違いがあるだけで、国民は特に意識することなく併用しているそうです。
「にっぽん」と「にほん」の違いのようなものであるとか。
正式名称としては、独立以来ずっと文語的な「ミャンマー」の方を使用していて、
1989年の英語表記変更によって内外の呼称が統一化されたことになりました。
1824年からイギリスの侵略が始まり、
1886年にイギリス領であったイギリス領インドに併合され、その1州となりました。
イギリス人はさまざまな手口でビルマ人のアイデンティティーを奪いました。
国王以下の王族をインドの果てに島流しにして、国民の求心力を奪いました。
王女は英植民地軍兵士の愛人にされて貧困の中で死に、その
娘(国王の孫)は「最貧困層に身を落とし、造花を売って生計を立てていました。
英国は黄金の玉座も奪い、戦後、国連を通じて返還されてきた玉座は
穴だらけ。ルビーやダイヤなどの宝石が全て盗られていました。
ビルマは独立すると、英国のものはすべて排斥しました。
交通ルールは元英国植民地では異例の右側通行。
ヤンゴンの外国語大学は、英語を教科から外し、日本語を入れました。
ビルマ人の対英独立運動は第一次世界大戦中にはじまりました。
1937年、インドから独立してイギリス連邦内の自治領になりました。
ビルマ建国の父と言われるアウンサン(民主化運動指導者
アウンサン・スー・チーは長女)が、
ビルマ独立義勇軍を率い、日本軍と共に戦い、イギリス軍を駆逐し
1943年、日本の後押しでバー・モウを元首とするビルマ国を建国。
その後、日本の敗色濃厚とみるや、アウンサンが指揮するビルマ国民軍は、
日本とビルマ国政府に対してクーデターを起こしイギリス側に寝返りました。が、
イギリスは独立を許さず、再びイギリス領となりました。
1948年にイギリス連邦を離脱し、ビルマ連邦として独立。が、
直前の1947年、アウンサンは暗殺されました。
1949年、国共内戦に敗れた中国国民党軍の残余部隊がシャン州に侵入し、雲南省反共救国軍としてゲリラ闘争を行いました。
中国人は植民地時代に入り込み、英国人の手先となってビルマ人を搾取。
英国人が引き揚げたあとも、中国人は居座って経済実権を握り続けました。
(ベトナムも同じように中国人にやられていました→中越紛争)
さらに、中国は共産ゲリラまで南下、侵入してきました。
さらに、さらに、タイの華僑まで山岳民族をけしかけてビルマ人政府と対立させ、
武器弾薬を売る始末。中国人は怖い!
米国CIAが物資や軍事顧問団を援助し、
タイへのアヘンの運び出しも行いました。
そし後、いろいろありましたが(省略)、
1988年、軍部がクーデターにより政権を掌握。
民主化指導者アウン・サン・スー・チーらは国民民主連盟(NLD)を結党するも、
政府は民主化勢力の弾圧を強化。
アウン・サン・スー・チーは数回(3回?)自宅軟禁を強いられています。
ところが、
アウンサンの暗殺後、英国に渡ったきりの一人娘スー・チーが30年経って、
英国人の妻になって戻ってきました。英国人になりきっていたスー・チーに、
英国嫌いなビルマの人々は戸惑ったことでしょうね。
欧米や日本が、スー・チー問題でミャンマーに経済制裁を科し、
ミャンマーの経済が破綻寸前になった時、手を差し伸べたのが中国です。
中国は日本のODAで核を作り軍事大国になり、
ミャンマーの人々は、
「英国人になりきったスー・チー」より、「嫌いな中国」を選びました。
ビルマ人ほど外国勢力との結託に嫌悪感を抱く国民はないようです。
スー・チーは民主化の「希望の星」から、アメリカの手先になってしまった。
スー・チーが善玉で政府が悪玉などと、単純には語れないのですね。
ヤンゴンの表玄関、イラワジ川にかかる鉄橋が中国の支援で建造されました。
ミャンマーの人々が以前、必死に苦痛に耐え追い出した中国人が、
その橋を大勢渡って来ました。街中には漢字の広告が堂々と立ち並びました。
ミャンマーでは中国が台頭しつつあります。
中国はビルマに援助するお金があるのですね。アフリカ諸国にも援助してます。
日本から中国へのODA、主な用途は核開発、威嚇演習などの軍事活動、
主に台湾に対する周辺国への離間工作や日本の常任理事国入りを妨害する
といった対外工作。平和使用とはかけ離れたものばかり。また、中国の要人は
「感謝」ではなく「評価」という言葉で表現。日本政府は、資金提供期限を
北京オリンピックまでと期限を決めようと意思表示をしていますが、
中国側はODA中止に反発。中国は東シナ海ガス油田の発掘(盗掘)まで
行っているのですから、すぐにでもODAを止めるべきですよね。
先月18日、ミャンマーでは
燃料の値上げを背景とした仏教僧による大規模な反政府デモが行われ、
参加者は数日のうちに数万人の規模に膨れ上がりました。それに対し
軍事政権は武力による弾圧を行い、多数の死傷者を出しました。
(2007年ミャンマー反政府デモ)
参考資料:ウィキペディア/産経新聞夕刊コラム「高山正之の異見自在」
ブログランキングに参加してます♪
↓猫パンチしてね クリックお願いします <(_ _*)>

銃弾に倒れてもなお、右手に持ったカメラを離さなかった長井さんの映像を
何回もテレビで見ました。
ご冥福をお祈りしたいと思います。
さて、ミャンマーは1974年までの名称はビルマでしたね。
国境を中国、ラオス、タイ、バングラデシュ、インドと接しています。
ビルマ語では、「ミャンマー」も英語のBurma(バーマ)の由来となった「バマー」も
同じ意味の言葉であり、前者が文語的、後者が口語的に使用されることが多いという違いがあるだけで、国民は特に意識することなく併用しているそうです。
「にっぽん」と「にほん」の違いのようなものであるとか。
正式名称としては、独立以来ずっと文語的な「ミャンマー」の方を使用していて、
1989年の英語表記変更によって内外の呼称が統一化されたことになりました。
1824年からイギリスの侵略が始まり、
1886年にイギリス領であったイギリス領インドに併合され、その1州となりました。
イギリス人はさまざまな手口でビルマ人のアイデンティティーを奪いました。
国王以下の王族をインドの果てに島流しにして、国民の求心力を奪いました。
王女は英植民地軍兵士の愛人にされて貧困の中で死に、その
娘(国王の孫)は「最貧困層に身を落とし、造花を売って生計を立てていました。
英国は黄金の玉座も奪い、戦後、国連を通じて返還されてきた玉座は
穴だらけ。ルビーやダイヤなどの宝石が全て盗られていました。
ビルマは独立すると、英国のものはすべて排斥しました。
交通ルールは元英国植民地では異例の右側通行。
ヤンゴンの外国語大学は、英語を教科から外し、日本語を入れました。
ビルマ人の対英独立運動は第一次世界大戦中にはじまりました。
1937年、インドから独立してイギリス連邦内の自治領になりました。
ビルマ建国の父と言われるアウンサン(民主化運動指導者
アウンサン・スー・チーは長女)が、
ビルマ独立義勇軍を率い、日本軍と共に戦い、イギリス軍を駆逐し
1943年、日本の後押しでバー・モウを元首とするビルマ国を建国。
その後、日本の敗色濃厚とみるや、アウンサンが指揮するビルマ国民軍は、
日本とビルマ国政府に対してクーデターを起こしイギリス側に寝返りました。が、
イギリスは独立を許さず、再びイギリス領となりました。
1948年にイギリス連邦を離脱し、ビルマ連邦として独立。が、
直前の1947年、アウンサンは暗殺されました。
1949年、国共内戦に敗れた中国国民党軍の残余部隊がシャン州に侵入し、雲南省反共救国軍としてゲリラ闘争を行いました。
中国人は植民地時代に入り込み、英国人の手先となってビルマ人を搾取。
英国人が引き揚げたあとも、中国人は居座って経済実権を握り続けました。
(ベトナムも同じように中国人にやられていました→中越紛争)
さらに、中国は共産ゲリラまで南下、侵入してきました。
さらに、さらに、タイの華僑まで山岳民族をけしかけてビルマ人政府と対立させ、
武器弾薬を売る始末。中国人は怖い!
米国CIAが物資や軍事顧問団を援助し、
タイへのアヘンの運び出しも行いました。
そし後、いろいろありましたが(省略)、
1988年、軍部がクーデターにより政権を掌握。
民主化指導者アウン・サン・スー・チーらは国民民主連盟(NLD)を結党するも、
政府は民主化勢力の弾圧を強化。
アウン・サン・スー・チーは数回(3回?)自宅軟禁を強いられています。
ところが、
アウンサンの暗殺後、英国に渡ったきりの一人娘スー・チーが30年経って、
英国人の妻になって戻ってきました。英国人になりきっていたスー・チーに、
英国嫌いなビルマの人々は戸惑ったことでしょうね。
欧米や日本が、スー・チー問題でミャンマーに経済制裁を科し、
ミャンマーの経済が破綻寸前になった時、手を差し伸べたのが中国です。
中国は日本のODAで核を作り軍事大国になり、
ミャンマーの人々は、
「英国人になりきったスー・チー」より、「嫌いな中国」を選びました。
ビルマ人ほど外国勢力との結託に嫌悪感を抱く国民はないようです。
スー・チーは民主化の「希望の星」から、アメリカの手先になってしまった。
スー・チーが善玉で政府が悪玉などと、単純には語れないのですね。
ヤンゴンの表玄関、イラワジ川にかかる鉄橋が中国の支援で建造されました。
ミャンマーの人々が以前、必死に苦痛に耐え追い出した中国人が、
その橋を大勢渡って来ました。街中には漢字の広告が堂々と立ち並びました。
ミャンマーでは中国が台頭しつつあります。
中国はビルマに援助するお金があるのですね。アフリカ諸国にも援助してます。
日本から中国へのODA、主な用途は核開発、威嚇演習などの軍事活動、
主に台湾に対する周辺国への離間工作や日本の常任理事国入りを妨害する
といった対外工作。平和使用とはかけ離れたものばかり。また、中国の要人は
「感謝」ではなく「評価」という言葉で表現。日本政府は、資金提供期限を
北京オリンピックまでと期限を決めようと意思表示をしていますが、
中国側はODA中止に反発。中国は東シナ海ガス油田の発掘(盗掘)まで
行っているのですから、すぐにでもODAを止めるべきですよね。
先月18日、ミャンマーでは
燃料の値上げを背景とした仏教僧による大規模な反政府デモが行われ、
参加者は数日のうちに数万人の規模に膨れ上がりました。それに対し
軍事政権は武力による弾圧を行い、多数の死傷者を出しました。
(2007年ミャンマー反政府デモ)
参考資料:ウィキペディア/産経新聞夕刊コラム「高山正之の異見自在」
ブログランキングに参加してます♪
↓猫パンチしてね クリックお願いします <(_ _*)>
2007/10/10(水) | 海外ニュース | トラックバック(0) | コメント(12)




