駄文・散文帳
2016年06月12日 (日) | 編集 |

翁長(おなが)沖縄県知事は、中国の脅威を強調すると米軍基地の重要性を認めざるを得ないと懸念したのか。

中国軍艦侵入にもだんまり…翁長沖縄県知事、発言なしですか



舛添知事と民進・山尾志桜里氏は、「公私混同・嫌われ者・辞めない」点が酷似

「知事といえば『せこい』の代名詞」 舛添知事と民進・山尾氏を一刀両断 おおさか維新・松井代表



舛添知事が、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領からの依頼に従い、保育所不足に悩む新宿区の都有地を韓国人学校の増設用地として貸し出す方針を打ち出したことについては、「韓国でなく、都民のために使うべきだ」などの批判が最も多いのに、なぜTBSは隠すのか。

【画像】TBSひるおび、都庁への苦情1位の「韓国学校」問題を隠蔽



世界のメディアから無能・無策と酷評され続けてきた潘基文(パンギムン)国連事務総長が、またまた批判されている。

右往左往の潘基文氏に非難集中 人権めぐる報告書「恥のリスト」からサウジ削除 圧力に屈した?内部からも「悪しき前例」の声


日々、ビックリするようなニュースが次々と流れてくるので、重要な事柄であっても、つい見逃しがちなことも有り得る。気を付けて目を光らせていきたいものだ。特に政治家は日本の国益のために働いてもらいたい。

さて、参院選ではこれまで改選数1の「1人区」の戦い方が与野党の勝敗を分けてきたが、民進・共産・社民・生活の野党4党の候補は、全国に32ある改選定数1の参院選1人区全てで4党の候補が一本化された。共産党は今まで、議席を得られることはないと分かっていても全選挙区に候補者を立ててきたが、今回はすべて安倍政権打倒のために立候補させない方向に転換した。共産党はその分、3人区以上と比例区に力を注ぎ議席を増やそうとしている。その結果、32の1人区で半分以上勝利できれば、野党共闘の大勝利となる。

菅官房長官が民進党と共産党が統一候補擁立など共闘を進めていることに対し「自衛隊と日米安保を否定する共産党で日本が守れるのか」と共産党を批判したが、まさに共産党の目指している政治体制には危機感を抱かざるを得ない。池田信夫氏は「共産党の目的はに革命である。革命とは現在の国家体制を転覆するものであり、憲法を守る革命などというものはありえない。」と述べている。

左翼陣営は、例えば本日のTBSの「サンデーモーニング」でも岸井成格氏が、この参院選で安倍政権は争点隠しをしていると言う。与党が勝てば、間違いなく憲法改正だろうと言うのだ。では、野党共闘の大勝利で日本が共産党の目指す国家になることには納得しているのか。共産党の一党独裁国家を目指すことに納得しているのか。言論の自由などなくなることには目をつぶるのか。共産主義体制にして、自分たちエリートだけが日本を引っ張っていくという夢でも見ているのか。岸井氏らは、習近平らのようになりたいらしい。国民を馬鹿だと思っている発想だ。傲慢である。有権者が、政治のことなど分からない者がほとんどであっても、一党独裁よりはずっとマシである。岸井氏らの天下にしてはならない。思いなしか岸井氏の髭がヒトラーのそれと重なる。

世界の共産党がどれほど多くの人々を虐殺してきたかは歴史が物語っている。世界の共産党が殺した人数は、控えめに見積もっても1億人を超え、第2次大戦の死者を上回る。共産党の目指すものに危機感を抱かず、なりふり構わず選挙で共闘する民進党には呆れるばかり。有権者は騙されてはならない。

【日本共産党研究】
「侵略戦争に唯一反対した党」という自画自賛は本当なのか? 彼らに与えられた恐るべき「任務」とは…
より抜粋
2016.6.11 MSN産経ニュース

 日本共産党は、なぜそこまで警戒されるのか。歴史をひも解けば、その理由はすぐにわかる。

 そもそも日本共産党は1922(大正11)年、旧ソ連のモスクワに本部を置く「共産主義インターナショナル」(コミンテルン)の日本支部として誕生した。結成当初のメンバーは堺利彦、山川均、野坂参三、徳田球一らである。

 ロシア革命(1917年)後の19年、レーニンによってつくられたコミンテルンは、共産主義の思想を各国に「輸出」し、全世界を「ソビエト化」つまり、共産主義化することが目的の組織だった。

 当時誕生したばかりのソ連は、一国だけの革命政権が、いずれは他の資本主義諸国から包囲されてしまうことを恐れ、諸外国にも同様の革命組織が必要だと考えたのである。このため、各国支部の共産主義者たちは、コミンテルンによるモスクワからの指令と資金提供を受けて、ソ連のための工作やスパイ活動はもちろん、自国の政治体制を内部から混乱させて、いずれは自国でも革命を起こそうと考えていたのだ。

 公式的な指令は「テーゼ」と呼ばれ、日本共産党にも結党時の「22年テーゼ」や、その後の「31年テーゼ」などがあるが、その「任務」を強く打ち出したのが、32年にコミンテルンが決定した「32年テーゼ」である。ここでは、武力闘争による「絶対主義的天皇制打倒のためのブルジョア民主主義革命」を明確に指示しており、これを「綱領文書」と位置付けていたのが戦前の日本共産党だった。

 25年に日本で成立した治安維持法も、そもそもは共産主義者を取り締まるためのものだった。現在では「戦前の悪法」の代表格のように言われているが、「天皇制打破」と「共産主義革命」という、まさに国家転覆とほぼ同義の言葉を綱領に掲げる組織に対し、国が警戒するのは当然だった。

 結果的に党指導者らは厳しい弾圧を受け、別の罪で死刑に処されるものもいた。現在でも、日本共産党は「戦前、侵略戦争に反対した唯一の党」「獄中で弾圧されても命をかけて戦った唯一の党」などと常套句のように自画自賛する。だが、こうした「美談」が真実をねじ曲げていることは、コミンテルンと日本共産党の関係を考えただけでも明らかである。

 当時の日本共産党の具体的な目的は、スパイ活動を通じてソ連に情報を流し、中国大陸に進出していた日本軍のソ連侵攻を阻止することに加え、中国で進行中だった共産主義革命を支援することであり、いずれもコミンテルンが与えた任務だった。

 わが国が先の戦争に至った経緯については議論が分かれるところではあるが、その時、共産党は他国と内通し、他国の指示に従って、自国の体制を転覆させようとしていたに過ぎなかったのである。決して「平和のため」に「戦争反対」を訴えていたわけではないのだ。

 こうした見方に対して日本共産党はどう反論しているのだろうか。2006年9月の「しんぶん赤旗」で、「コミンテルンとの関係どう考える?」として、読者からの質問に答える形で述べている。

 「北海道の一読者」が《戦前、日本共産党はコミンテルンの日本支部として出発したと知りました。そのこととコミンテルンがスターリンの道具になっていたこととの関係をどう考えているのでしょう》と尋ねたのに対し、ペンネーム(喜)は、日本共産党がコミンテルン日本支部だったことは当然認めた上で、コミンテルンを設立したレーニンの方針について、《政治上、理論上の大きな誤りや弱点も少なくありませんでした》《晩年のレーニンは、あたらしい路線の積極的な探究をはじめていましたが、1924年のレーニン死後、その探究もとざされてしまいました》と答えている。つまり、「レーニンの考え方にも一部に誤りや弱点はあったものの、そのレーニンが亡くなってしまったので仕方がない」という理屈である。

 では、当時、下部組織だった日本共産党は、コミンテルンに対して《誤りや弱点》を指摘したり、支部の立場を脱退したりすることはできなかったのだろうか。これについては次のように答えている。

 《当時、日本共産党中央は、天皇制政府の弾圧で獄中にあり、コミンテルンの変質の進行を知ることはできませんでした》

 日本共産党は、2004年1月に改定された現在の綱領でも《発達した資本主義の国での社会主義・共産主義への前進をめざす取り組みは、二一世紀の新しい世界史的な課題である》と社会主義、共産主義革命への道を捨てていない。

 1991年のソ連崩壊や、それに従属してきた東欧諸国の崩壊についても《社会主義の失敗ではなく、社会主義の道から離れ去った覇権主義と官僚主義・専制主義の破産であった》と切り捨て、あくまで「ソ連の社会主義が間違っていた」との論法で自らに火の粉がかかるのを防いでいる。

 つまり、「レーニンはよいが、スターリン以降は間違っている」とのいつもの理屈だが、73年に改定するまでの綱領ではこうも明記していた。

 《党は、「万国の労働者団結せよ」の精神にしたがって、プロレタリアートの国際的団結をつよめるために努力する。ソ連を先頭とする社会主義陣営、全世界の共産主義者、すべての人民大衆が人類の進歩のためにおこなっている闘争をあくまで支持する》

 ご都合主義もいいところである。


 

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