駄文・散文帳
2016年03月07日 (月) | 編集 |

保育バウチャーって何?より抜粋
2016年03月07日 池田信夫

保育園をめぐる論議が、にわかに盛んになってきました。でも「私が保育園に落ちた母親だ!」などといって国会前でデモしても意味がありません。これは補助金を増やせば解決する問題ではないからです。

東京都世田谷区の保育所の入園率は47.2%と全国最低で、待機児童は1109人もいますが、社民党の保坂区長は「区にできることは限界がある」といって何もしないので、入園率はどんどん下がっています。

一つの原因は、世田谷区の人口が急増しているのに保育園が増えないからですが、最大の問題は制度です。保育園が社会福祉法人という特殊なしくみで運営され、経費の90%を国と都と区からの補助金でまかなっているからです。

このため公立の保育園の保育料は、私立の「無認可保育所」にくらべて年間40万円ぐらい安いといわれています。そして入園の審査は「妻が働いているかどうか」といったポイント制で行なわれますが、納税額が最大のポイントです。

このため、所得を100%補捕捉されているサラリーマンが落選し、あまり税金を払っていない個人事業主が当選します。しかも保育料も納税額に応じて決まるので、上の図のように2倍以上も違います。

これは保育園が厚生労働省の管轄で、貧しい共働きの母親の子を預かる「託児所」としてでき、施設を社会主義的に割り当てているためです。同じように幼児教育をしている幼稚園は文部科学省の管轄でこういう割り当てはないので、希望する子供はどこかの幼稚園に入れます。

厚労省は「貧しい親のためには補助が必要だ」といいますが、保育園に落選した子供の多くは無認可保育所に入り、年間40万円以上も高い保育料を払い、設備も劣悪です。本来はこういう私立の保育園にも補助が必要ですが、世田谷区は株式会社の参入をほとんど認めません。

このように保育園が社会主義で運営されていることが、最大の問題です。幼稚園一元化して普通の料金制度にすべきだという議論も10年以上やっていますが、実現しません。2014年に「認定こども園」という制度ができましたが、これは保育所の変種で、問題は解決していません。

こんな時代錯誤の制度が残っているのは、官僚の天下り先になっている社会福祉法人が、役所と談合して株式会社の参入を阻止しているからです。保育園には競争がないので、園長の仕事は役所と仲よくして補助金をもらってくることで、子供の教育はほったらかしです。


7日の参院予算委員会で、「保育園落ちた日本死ね」という匿名ブログをめぐり、社民党の福島瑞穂氏が、「本当に悲痛な叫びだ。政策の失敗だ」と安倍首相に迫った。しかし、首相は「政策の失敗というが、失敗ではなくて、福島委員が政権におられたときよりも(保育所の受け皿を)20万人、40万人増やしている」と反論、民主党と社民党などの連立政権時代に比べて対策を講じていると強調した。

安倍政権の支持率を下げるためには何でも政治利用する野党と左翼マスメディアや左翼識者。しかし、保育所の入園率が全国最低の東京都世田谷区の区長は社民党の保坂展人氏である。彼は「区にできることは限界がある」といって何もしないので、入園率はどんどん下がっているという。

池田信夫氏が、そもそも「保育園が厚生労働省の管轄で、貧しい共働きの母親の子を預かる『託児所』としてでき、施設を社会主義的に割り当てている。保育園が社会主義で運営されていることが、最大の問題なのだ。」と分かり易く解説している。

安倍首相の揚げ足ばかりとっている人たちは、今一度、問題の本質について考えるべし。しかも、デモをやっている人たちだって、政権交代したら保育園に落ちないとは思っていない。

「保育園落ちた日本死ね」ブログをほめるなより抜粋
2016年03月05日 石井孝明

子どもが保育園に入れなかったママが書いたとされる「保育園落ちた日本死ね」というブログが話題となった。これを、山尾志桜里衆議院議員が衆議院の予算委員会で取り上げ、安倍首相に迫った。また3月4日には「保育園落ちたの私だ」というプラカードを掲げ国会前をデモする人がいた。いつもの通り組織化された政治行動であり、デモ写真には共産党議員が映っていた。同党が政治的揺さぶりをかけるために、この騒動を利用しようとしているのだろう。

もちろんブログに個人的な感情を吐露するのは表現の自由であり、変に騒ぐ周囲の人々が問題だ。

民主党の山尾議員は検事出身だそうだが、いつも国会で感情的に騒ぐので気味が悪い「民主党的」女性だ。
安倍首相は山尾氏の追求に「匿名なので確認できない」といい、自民党議員席からは「誰が書いたか分からないものを国会で取り上げるな!」というヤジが飛んだそうだ。私もそう思う。記者として訓練を受けた私に取って、いや普通の社会人に取っても、匿名情報源が流す情報は、真偽を確認できない危ういものだ。

そもそも国が行う政策は法律に基づく制度作りと予算措置だ。保育園の具体的な設置、サービスの実施は地方自治体の責務であり、また地域事情は国内でさまざまだ。人々の不満のたまる今の政策を擁護するつもりは毛頭ないが、民主党、野党が自治体の問題としてではなく、いきなり「天下国家」の話から保育問題を語るのは、問題解決のための手順を間違っている。

このブログ主は生まれて数年(1年?)の子どもの保育を探しているようだが、考えて見れば、夫婦の勤務の時短は会社との関係であり、自治体・民間は不十分でも地域で保育園以外の代替サービスを提供しているだろう。「日本死ね」とか政治家の言うような「アベ悪い」の問題ではないはずだ。

不十分であっても、代替措置はいくつかある。民間保育園、民間託児所、親や親族の協力。保育園が子どもに、また家庭に最適かも分からない。そうした制度を利用しながら、大半の人は歯を食いしばって、子育てを行う。それをしないで「死ね」などの呪詛をばらまく親によって、子どもが悪影響を受けることが心配だ。

しかし人生のあらゆる場面で、国のできることはどこまでいっても限られる。もちろん支援制度の整備を主張することも当然だが、人生のすべての物事では自己責任を覚悟しなければならない。子育てという、つらさも含みながら、意義深い、楽しい営みもそうだ。

政策決定で国民の感情ばかりに注目し、政府批判を煽る「民主党的」「共産党的」アプローチは大変危険だ。

行き詰まった問題で、感情論が強まり始めると、世論とメディアがおかしな方向に走り、政策が非合理的になり問題が解決しなくなった。

自分で問題を解決することを当然と思う。他人に施しをもらうことは、自由と活力と尊厳を失う面があることを認識する。権力には頼らない。こうした発想が社会の根底にあれば、国と個人は依存関係がなくなる。一言でまとめれば、明治の思想家福沢諭吉が強調した「独立自尊」の信条だ。

「独立自尊」を信条に持つ人が自律的に運営する社会。「アベ悪い」「日本死ね」と感情的に叫び、国を批判しながら国に頼る人ばかりの社会。どちらが健全だろうか。子どもの健やかな成長をもたらすだろうか。もちろん前者だが、日本で後者にしたがる人が目立つのは心配だ。

社会問題に声を上げて変革を促しながら、自己責任で問題解決に向き合うのは当然だ。しかし「保育園落ちた日本死ね」などと叫ぶ文章を称え、感情に流れ、適切な思考に基づかない社会混乱を作り出していけない。それは問題の解決を遠ざけるだけだ。

追伸・ジャーナリストの今一生さんが、取材の中で見た、民間による保育サービスの変化をまとめている。「保育園問題は、民間で市民自身が解決できる」。ぜひ一読を。こうした取り組みを支え、自分で解決に動く社会が望ましい。

また東京新聞論説委員の長谷川幸洋さんの論説も読むことを勧めたい。「待機児童問題は深刻なのに10年経っても「保育所事業」へ株式会社の参入が進まない理由」。東京都世田谷区では、今だに民間企業がサービス展開をできず、これは地元の社会福祉法人の反対、区役所の法律に基づかない行政活動が一因という。保育所利権、また地方自治体の怠慢という問題が背景にあるようだ。国だけが問題ではない。



 

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