駄文・散文帳
2015年07月19日 (日) | 編集 |

日米安保と自衛隊の撲滅は叫ばない安保法案反対派より抜粋
「違憲か合憲か」に集中する矛盾だらけの国会論戦
2015.6.23 JBpress

これまでの国会論戦を見ていると、日米安保体制そのものについての議論がほとんどなされていないように思う。

 この法案の中心は、米軍の活動をいかに自衛隊が支援し、協力していくかということにあるはずだ。日米安保条約がなく、したがって在日米軍も存在していなければ、そもそも集団的自衛権などということは問題にもならないはずだ。

 ところが国会での論戦では、「集団的自衛権の行使は憲法違反だ」という議論のみに集中しているように思える。なぜいま集団的自衛権の行使が問題になっているのか。それは日米安保条約(=日米軍事同盟体制)に日本が組み込まれているからだ。だとすれば、問題の根源にある「日米安保体制そのものが是か非か」の議論こそもっと行われて当然なのではないか。

 国会論戦が「違憲か、合憲か」に集中しているのは、この肝心要の問題を意図的に避けているようにしか思えない。


 例えば民主党である。同党は日米安保体制を容認しているはずである。日米安保体制は日本の平和と安全、あるいは極東の平和と安全に貢献しているという認識があるからこそ容認しているのであろう。

 だからこそ2014年基本政策においても、「集団的自衛権の行使一般を容認する解釈に変更することは許しません」としている。「許さない」としているのは、あくまでも「集団的自衛権の行使一般」である。逆に言えば、限定的な集団的自衛権の行使は、「やむを得ない」というのが民主党の立場なのである。

 日米軍事同盟体制を容認する以上、集団的自衛権行使の問題は避けて通ることはできないからである。今回の法案に対し、反対派は「戦争法案」と呼んでいる。しかし、もともと日米安保体制というのは、“いざとなれば日米共同で戦争します”という体制である。だからこそ抑止力にもなるのである。憲法第9条に照らせば、「これこそ違憲の条約」という議論も当然に成立する。

 しかし、日米安保体制容認派は、これは違憲ではないという解釈によって、これを是認してきた。憲法違反という議論を展開するなら、ここまで掘り下げて議論をしないと、一方の違憲状態は黙認するが、他方の違憲状態は否定するという一貫性のないものになってしまうのである。


共産党はなぜ「日米安保破棄」を主張しないのか

 この点では一貫しているはずなのが、日本共産党である。同党は日米安保体制にも反対しているからだ。

 だが、実際の国会論戦では、この角度からの追及がない。本来なら「そもそも集団的自衛権の問題が出てくるのは、根源に日米軍事同盟があるからだ。日米安保条約を破棄して、この体制から脱却すれば集団的自衛権の問題などそもそも出てこない」という主張を展開すれば、非常に分かりやすいはずなのだが、こういう議論は展開していない。

「戦争法案反対」を掲げる運動も、「日米安保破棄」というスローガンは掲げていない。「戦争法案」と言うのなら、日米安保破棄も掲げて当然ではないか。そもそも反対を叫んでいる人々のどれほどの人が法案を読んでいるのか知らないが、この矛盾に気が付いている様子はない。

 実は、日米安保条約破棄などという主張が、まったく非現実的だということを共産党はよく知っているのである。軍備拡張を続け、南シナ海、東シナ海で国際法無視の活動を続ける中国の存在、核を持ちミサイル発射実験を繰り返す北朝鮮の存在を見た時、「日米安保条約破棄」などというスローガンが国民に支持されないのは当然である。だからこの問題には目をつむり、海外で米軍と一体となって自衛隊が活動することは憲法違反だなどという議論ばかり行っているのだ。

 要するに、民主党も、共産党も、立場こそ違うが本質問題を避けて議論しているということだ。これでは審議の充実を望めないのも当然なのである。

反対派は「日米安保破棄、自衛隊解散」のスローガンを掲げよ

自衛隊が解体されれば、海外で戦争を行う危険性は一切なくなる。そのうえ日米安保条約も破棄すれば、もう完璧である。集団的自衛権など、一切問題にならなくなる。

 ただその場合には、日本はもちろん丸腰になる。そんな提案に、大多数の国民は背を向けることになるだろう。



元共産党政策委員長・筆坂秀世が読む『いちばんよくわかる! 憲法第9条』西修著
2015.5.10 MSN産経ニュース

■じつは護憲派の泣きどころ

 共産党など、護憲を叫ぶ人々は、「憲法第9条は世界の宝」と言う。では問いたい。現憲法が制定される際、この第9条に唯一反対を貫いた政党はどこか。共産党である。当時、共産党は第9条を「一個の空文」であると批判し、「民族独立のため反対しなければならない」と啖呵(たんか)を切っていた。反対の最大の理由は、自衛戦争まで吉田茂首相(当時)が否定していたからである。実に的確な批判だった。本書が指摘するように、共産党は「自衛戦争と積極的平和主義を肯定していた」のである。

 それがいまや護憲派なのである。共産党は護憲派への大転換を「吉田首相が、当初、自衛権まで否定していたが、その後、自衛権があることを認めた」からだと釈明している。大嘘である。1985年版『日本共産党の政策』には「憲法上の措置(第9条の改正)がとられた場合には、核兵器の保有は認めず、徴兵制は取らず志願制」とすると明記している。94年7月の第20回党大会までは、第9条の改正を公然と掲げていたのだ。

 憲法を字面(じづら)だけで解釈してはならない、とは本書が強調するところだ。護憲派の人々は、ほとんどこの字面解釈なのだ。だから自衛隊を「憲法違反の軍隊」というのである。私が“護憲派の憲法知らず”と批判する所以(ゆえん)である。

 現憲法の骨格となったマッカーサーが示した原則では、当初、「自己の安全を保持するための戦争」も放棄することが明記されることになっていた。だがこれでは、どの国家にもある「自己保存の権利」も奪うことになるため採用されなかった。自衛軍は持てるということだ。護憲派は、自衛隊は憲法違反だと言い、日米安保にも反対だと言う。要するに“丸腰日本”というのが彼らの主張である。その無責任さは、実は護憲派も分かっている。だから即時自衛隊解体、安保廃棄とは叫べないのである。こんな無責任を放置しないためにも第9条をすっきり改正することが重要なのである。どうやって国を守るのか、その回答を持たない護憲派の最大の泣きどころこそ第9条なのである。


元共産党政策委員長・筆坂秀世氏は政策委員長だった頃に新聞記者から「共産党の選挙総括は読まなくても分かります。共産党は常に正しいというだけですから。理解できない国民がバカと言ってるも同じではないですか」と言われたことがあり、鋭いと思ったという(筆坂が主張する日本共産党の問題点より)。

そもそも共産主義自体、一握りのエリートらによる民主的でない手法による政治体制を掲げています。一党独裁体制だから選挙はしない。言論の自由もない。自由も平等もない。国民の多くをバカだと思っているから、エリートだけで政治をやりたいのです。だから腐敗した権力を自浄する作用などなくなる。

民主主義という政治体制はベストではないが共産主義の一党独裁体制よりはずっと良い。確かに、民主主義体制の弊害もある。言論の自由があるので、世論がマスメディアによって操作され、つくり出されたりする。反日議員や反日メディアも跋扈し、朝日のような新聞やテレビ局さえ政治に影響を及ぼし得る。

安保法制に関しても、「戦争法案」「徴兵制」などのレッテル貼り、世論が反日マスメディアによって操作され、つくり出されました。内閣支持率が大きく低下しているのも、反日マスメディアのせいです。しかし、中国と韓国以外は日本が集団的自衛権の行使することを明確に支持している。世界中で反対しているのは中国と韓国だけであり、世界中で一番大騒ぎしているのは日本国内の一部勢力なのです。

「言葉狩り」になっていないか…表現の自由と問われる「節度」より抜粋
2015.7.19 ノンフィクション作家・門田隆将

 日々の新聞報道に触れていると最近、「節度」という言葉を思い浮かべることが多い。

 安保法制をめぐる最近の新聞報道には、私は、ずっと違和感を抱いている。如実に表れたのは、作家の百田尚樹氏が自民党の勉強会で「沖縄の2紙はつぶさないといけない」と発言した、と報道されたケースだ。

 これは、百田氏自身の言によれば、出席者から「沖縄の人やメディアの意識は厄介(やっかい)だ」と問われ、「厄介やなあ、(沖縄の2紙は)つぶさんとなあ」と冗談めかして答えて、笑いが起こったものだったそうだ。一方、記者たちは、ドアに耳をつけ、いわば盗み聞きした上で、この発言を報じた。その会議での自民党議員たちの発言も併(あわ)せ、〈異常な「異論封じ」〉〈言論統制の危険な風潮〉といった過激な論調が並んだ。言論封じというなら、百田氏は一部発言を抜き書きされ、まさに「自由な言論」を侵されたことになる。

 また14日には、沖縄に持ち込まれる埋め立て用土砂を規制する条例が沖縄県で成立したことをめぐって、「もう、そんな連中は放っておいていいと思うが、いかがでしょうか」と菅義偉官房長官に質問した時事通信の記者が他紙から問題にされ、更迭(こうてつ)された。編集局長は「(不適切な表現で)沖縄県民をはじめ議会関係者ら皆様に不快な思いをさせたのは極めて遺憾」という異例のコメントを出した。

 沖縄問題への自由な発言や質問はできなくなりつつあるのだ。逆の意味で、まさに言葉狩りと自由な言論への圧力が続いているといえる。

 「異論には耳を貸さず、力で踏みつぶせばいいのだという考えは許されない」という論調を掲げ、一方では自分と異なる意見や質問を問題視して、牙を剥(む)く姿勢。果たしてあなた方には言論の自由を守る意思はあるのですか、とつい聞きたくなる。問われているのは、言論人の「節度」なのではないだろうか。


 

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