駄文・散文帳
2014年07月07日 (月) | 編集 |

朝日新聞という病
2014年07月06日 池田信夫blog

私がマスコミに勤務していた20年前に比べると、インターネットの世界は激変したが、マスコミは驚くほど変わらない。最近の集団的自衛権をめぐる朝日新聞の報道は異常というしかない。7月2日の紙面は、次のような見出しで埋め尽くされている。

 平和主義覆す解釈改憲
 「強兵」への道 許されない
 危険はらむ軍事優先
 周辺国刺激 緊張招く懸念
 抑止力 逆に低下する恐れ
 ねじ曲げられた憲法解釈
 「自衛措置」強引に拡大
 論理の暴走 戦前と同じだ


私が入社試験を受けたとき、朝日新聞の役員のリベラルな感じはNHKの官僚的な感じより好感がもてたが、サツ回りはしたくなかったので朝日の内定を断った。私が最後に現場にいたのは1993年に細川内閣のできる前だったが、朝日の圧勝だった。首班指名の前に朝日は1面で「細川首相」、読売は「羽田首相」という大見出しを掲げた。

そのころマスコミ全体が(産経を除いて)55年体制の終焉を歓迎する論調だったが、小沢一郎氏が政局運営に失敗し、その後は日本の政治にとっても「失われた20年」だった。それでも小泉内閣のときは、朝日はまだ改革派だったが、民主党政権あたりから「先祖返り」が始まった。労働問題では労組べったりになり、原発事故のあとは「原発ゼロ」になり、安全保障をめぐっては冷戦時代どころか60年安保に戻ったようだ。

その一つの原因は、就職偏差値が落ちたことだと思う。私のころまではマスコミの競争率は100~200倍で、社員にもエリート意識があったが、今は普通の会社で、銀行の滑り止めになったりしている。経営が危ないという点では、中小企業なみのランクだろう。今年4月入社の社員は、東大卒がゼロになったらしい。昔は(NHKと同じく)半分近く東大卒だったのだが、変わり果てたものだ。

東大生は「空気」の変化に敏感だ。原発や慰安婦などの異常な報道を見ると、最近は朝日新聞=頭が悪い、あるいは朝日新聞=嘘つきというブランドが確立されたようだ。そうなると彼らは入らないので、その下の大学の左翼的な思い込みの強い学生が入社する。その結果が「朝日新聞女子組」を名乗る次のようなアカウントだ。

朝日新聞の記者は「権力の暴走を止めるためには、自分たちは憲法を守らなくてもいい」と信じているらしい。そういう特権的な地位はとっくに失われたのだが、大阪本社の「女子組」は、いまだに新聞が国家権力と対峙しているという格好よさにあこがれて仕事をしているのだろう。論理の誤りは指摘すればなおせるが、頭の悪さはなおせない。

もう一つの原因は、読者の高齢化だ。紙の新聞の読者のメディアンは60歳ぐらいで、主要な購買層は団塊老人だ。朝日新聞の最近の極左的な紙面は、彼らにターゲットを絞っている。これは営業政策としては正解だが、紙の読者は決して増えない。団塊の世代がいなくなるのが早いか、紙がネットに負けるのが早いかはわからないが、あと10年はもたないだろう。

儒教国家では権威(学問的知識)と権力(肉体的暴力)を官僚に集中させたが、キリスト教国家では両者を聖俗に分離した。これは果てしなく続く戦争を休戦して異なる宗派が平和共存するためには必要だったが、学問が現実的権力を失うと形骸化する一方、権力が精神的権威を失うと堕落する。

マスコミはそういうギャップを埋める「世俗的な学問」として一定の役割があった。新聞には資本も権力もないが、媒体を独占することで知的な権威になる一方、「第4の権力」を獲得した。しかしこれも身分不相応な事実上の権力をもつと堕落する。媒体の独占が終わった時代に、こういう権力が消えるのは、歴史的な宿命である。


朝日新聞の批判をさせたら右に出る人がいないのではないかと思われる池田信夫氏。その批判は的確であり、すべて正しい。

また、国際政治学者の細谷雄一氏は、「戦争になるぞ!」、「徴兵制になって戦場に送られるぞ!」というオオカミ少年のような激しい批判と指摘していますが、その代表が朝日新聞です。さらに、「イデオロギー的、感情的に集団的自衛権の行使に絶対反対という人、安倍総理がやることには全部反対という人が多くいらっしゃることは十分承知しております。」と。その代表も朝日新聞です。
→ 政府の閣議決定について:補足

その細谷雄一氏は、集団的自衛権について非常に分かり易く解説してくれています。

集団的自衛権の行使容認に関する閣議決定より一部抜粋
2014年07月02日 細谷雄一

私は、2013年9月から、安保法制懇のメンバーに入りまして、今年の5月15日に安倍総理に提出された報告書作成にも多少は安保法制懇有識者委員としては関係しておりますし、報告書提出の際にも首相官邸で安倍総理の近くに座ってその重要な場面に居合わせることができました。

特定秘密保護法案は、公務員や政治家を対象とするもので、先進国で最も秘密漏洩が激しい日本に対する他国からの批判に応えるものでした。日本はインテリジェンス機能が弱く、アメリカなどからの情報に依存せざるを得ません。しかしながら、あまりにも公務員や政治家による秘密漏洩が多く、アメリカ政府は重要なインテリジェンス情報などをあまり日本に提供したがりません。NSCを設立し、また朝鮮半島情勢が不安定化する中で、日米防衛ガイドラインでの日米防衛協力を強化する上では、そのような秘密漏洩の阻止は不可欠でした。マスコミがこれに批判していた本質的な理由は、基本的に、日本の政治報道が番記者による政治家からの秘密情報のリークに依拠しているからです。それによるスクープを得ることに夢中であり、この特定秘密保護法案でこれまでのように政治家がリークしてくれなくなる可能性を恐れているのです。番記者の情報収集に、国民の安全を考慮して本来あるべき一定の制約がかかるという問題が、なぜか日本の軍国主義化という議論になってしまい、戦前のような統制国家へ戻ってしまうという理解に苦しむ批判があふれていました。ある映画監督は、「これで映画が作れなくなる」と厳しく批判しましたが、いったい何を根拠にそう語っているのか全く理解できません。

今回の集団的自衛権に関する問題も同様です。今度もまた、誤解に基づく批判があふれています。

まず第一に、今回の解釈変更で試みている最も重要な課題は、朝鮮半島情勢が不安定化する中で、北朝鮮が韓国に攻撃をした場合に、在日米軍が韓国を防衛するために出動する際に日本が米軍に後方支援をすることにあると理解しています。これがまた、今回の日米防衛ガイドライン改定の大きな主眼です。アメリカ政府はそれゆえに、日本政府がこれまでの憲法解釈を変更することに大きな期待を寄せてきました(圧力はかけていないと思います)。

今回の与党協議の結果として合意されたものの多くは、本来の国際的な一般理解による「集団的自衛権」ではなく、通常はそこには含まれない法執行活動や後方支援活動を可能にするための法整備です。攻撃された国に、医療品や食料、水などを提供することを、「武力行使」としての国連憲章51条の集団的自衛権に含めている国などは世界中で日本以外に一カ国もなく、これは驚くべきほどの恥ずかしい内閣法制局の「誤解」と「無知」の結果なのです。ですので、私が国際会議などで、今回の日本政府による憲法解釈の変更による新しい安全保障活動について説明すると、「それは本来は、集団的自衛権の行使ではないのではないか?」という質問をいただく結果となり、「その通りです。本来は、集団的自衛権ではありません」と答えています。

もう一つ、集団的自衛権を行使できるようにしたいなら、憲法解釈の変更ではなく、憲法改正をするべきだ、という誤った理解があります。これも理解に苦しみます。もしも司法府である最高裁が、集団的自衛権を禁ずる判決を出していたら、立憲主義の精神からもそれは憲法改正が必要となるかもしれませんが、最高裁は一度も集団的自衛権を禁ずる判決を出していません。1959年の砂川判決は、周知の通り、日本の自衛権行使を認める判決を出しました。そこでは、集団と個別とを分けていません。集団的自衛権の行使を容認したわけではありませんが、禁止したわけでもありません。

内閣法制局は、もともとは長官は政治任命で、政治的に与野党対立を緩和するためのものでした。つまりは、行政府の一部であるから当然でもありますが、きわめて政治色の強い組織だったのです。内閣法制局が集団的自衛権を禁ずる解釈を確立していくのは、1972年からです。これには理由があります。1966年に佐藤栄作政権で、予算を早期に妥結するためにも野党社会党と国対政治で妥協する必要があり、与党自民党は自衛隊の海外派兵を禁ずる提案をすることで、社会党の合意を得ます。このあたりは、立命館大学の村上友章さんの論文で詳しく書かれています。つまりは、内閣法制局が1972年以降に集団的自衛権の行使の禁止の解釈をつくる直接的な動機は、与野党の国対政治という政局的理由と、ベトナム戦争への参戦を恐れる世論の空気への配慮と、革新勢力の伸張という政界の動きへの符号などにもるものです。政局的、世論の動きを配慮してつくられた1970年代の内閣法制局の解釈を、その後40年以上死守することと、立憲主義を守ることは関連はありません。単なる行政府の一機関であるのにもかかわらず、あたかも自らが内閣総理大臣や最高裁長官を優越する地位にあるかと誤解をしている元内閣法制局長官の横柄さが、あまりにも目に余ります。

さらには、今回の閣議決定で、自衛隊が集団的自衛権の行使が可能になるわけではありません。そのためには、自衛隊法の改正をしなければならず、もしも国会での審議の結果としてそれが拒否されれば、内閣の意思として集団的自衛権の行使が可能だという解釈を表明しながらも、実際には自衛隊は行動できないことを意味します。また、自衛隊法を改正しても、そのときに国会がその行使の容認を拒否すれば、国会での承認が必要となっているので自衛隊は動けません。一内閣の意思で戦争ができるようになる、というのはあまりにも事実に反する理解です。今回の閣議は、単に内閣としての意思を示したものにすぎず、それだけでは自衛隊は行動できません。日本は「ポジティブリスト」方式ですので自衛隊法に書かれていないことは自衛隊は活動できないのです。

やや長くなりましたが、今回の政府の決定は、与野党協議における公明党の強い要望をかなりのんで、相当程度に抑制的な内容となっており、本来の集団的自衛権の行使が想定する範囲の1割程度の範囲での行使容認にしか過ぎません。行使が可能だとしても、たとえば集団的自衛権が認められているNATO加盟国のベルギーや、ノルウェーなど、アメリカの戦争に参加して、戦争好きの国になったわけではありません。日本の内閣法制局の憲法解釈では、日本は個別的自衛権の範囲で核武装することが可能となっています。しかし、憲法解釈上可能だといっても、日本が核武装することは考えられません。別に憲法上の歯止めがなくとも、日本国民の意思として、あるいは行政府の意思としての非核三原則として、核武装をしない方針を維持しているからです。日本以外の世界中の国が、集団的自衛権の行使が可能なはずですが、世界中の国がすべてアメリカの戦争に参加しているわけではないのです。むしろ、遠征能力、前方展開能力、戦略輸送能力をもっている国はイギリスぐらいしかないので、コソボ戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争の戦闘の局面ではほとんどイギリス以外の諸国は、軍事侵攻作成には参加していません。それ以外の国は、戦後のPKOや平和構築での役割を担うことが中心です。アメリカとともに高烈度の戦闘に参加する軍事能力をもたないのに、戦争に巻き込まれると語るのは、日本の軍事能力を間違って高く見積もる「うぬぼれ」にすぎません。

朝日新聞は世論調査で、「集団的自衛権の行使を容認すべきか」」と訊いていて、それに反対する意見が多いことを強調していますが、それが全面容認ということであれば、おそらくは私も反対します。政府が今回の決定で行っているのは、きわめて限定的で抑制的な部分容認です。あたかもアメリカやイギリスと同等の水準で、集団的自衛権の行使が全面容認されるかのように報道することは、事実の歪曲か無知か、悪意かのいずれかです。

日本の自衛隊のPKOに参加する隊員は、助けを求めに来た目の前でレイプされている現地の少女を助けてることも、武装集団に襲われて助けを求めるNGOボランティアの人を助けることも、現行の内閣法制局が判断した憲法解釈ではできません。内閣法制局は、60年代末から70年代に、大きくそれまでの解釈を変更してしまったのです。

平和主義の精神は、今後も日本の安全保障の根幹に位置づけられるはずですし、そうするべきです。72年以降の硬直的な内閣法制局の憲法解釈を変更することで、上記のような場面で、より人道的な、そして国際協調主義的な対応が可能となるのです。これらを行わないことは、国際社会における利己主義であり、また人道主義への裏切りです。

これらをすべて無視して、今回の政府の抑制的な決定を見て、「これで立憲主義が死んだ」あるいは「これで日本は戦争のできる国になってしまう」」というのは、あまりにも短絡的ではないでしょうか。むしろ「死んだ」のは、現実の安全保障課題に真摯に向き合って、あるべき政策や法制度を考える姿勢や、苦しんでいる他国や、襲われ、レイプされ、助けを求める人々に手をさしのべるという当然ながらの国際社会における人道的な精神ではないでしょうか。他国を助けるな!自衛隊員以外の人命を救助するな!と高い声で叫ぶ姿は、みていてとても悲しくなります。なぜならば、日本は自国のみでは防衛できず、他国による助けを期待しているからです。「平和主義」という仮面をかぶったエゴイズムが確実に広がる姿をみて落胆せざるを得ません。はたして憲法に記されている国際協調主義の精神、苦しんでいる他国を支援するという倫理は、死んでしまったのでしょうか。

ASEAN加盟10カ国すべてが、今回の動きに賛意を示しており、多くの国はきわめて強く歓迎しています。韓国政府は、朝鮮半島への関与については、韓国の同意を要請していますが、反対の意見を示していません(アメリカへの配慮もあります)。強く批判したのは、世界で200カ国ほどある国の中で、中国一国です。その中国も、今回は驚くほど抑制的な対応でした。


日本の敵は一部の日本人であるとは言い得て妙なのですが、それは朝日新聞だけではありません。河野洋平氏のように自民党の議員の中にもいたし、今も少なからずいます。

有田芳生氏については、その呆れた実態が「依存症の独り言」に詳しく書かれています。以下に引用させていただきます。

有田芳生としばき隊は左翼ファシスト!カスとゴミ!
2014/07/04 依存症の独り言

有田芳生は両親が熱心な日本共産党員で、「芳生=よしふ」は、あの「暴虐の人」と呼ばれたヨシフ・スターリン(元ソ連共産党最高指導者)に因んでいる。
彼自身も1990年までは共産党員だったが、我儘が祟って除名された。
要するに有田は、左翼ファシストであり、日本共産党より気儘と言うか過激なのだ。

その有田が、今回の集団的自衛権の行使容認に絡んで次のように呟いている。

たった19人の閣僚が日本の戦後民主主義を破壊しようとしている。日本国憲法は多くの日本人とアジアのひとたちの生命と引き換えに獲得した世界の至宝だ。憲法9条の精神を破壊する武力なきクーデターを許すことはできない。安倍政権は打倒しなければならない。そのための野党協力を本気で進めよう。


憲法第9条を「世界の至宝」と持ち上げているが、その絶対平和精神に最も反している一人が有田自身である。
彼は、自身への反対者に対する暴力を肯定する。
あの左翼暴力団=しばき隊は有田の盟友である。

そのしばき隊が、次のように呟いている。

「安部しね」がものすごくカジュアルに使われている。若者たちの間で。


「安部しね」を肯定的に称賛するヤツに平和を語る資格はない。
コイツは間違いなく左翼ファシストだ!

若者たちの「安部しね」は美しいよ。若い反ナチレジスタンスの義勇兵が構えたサブマシンガンと同じぐらい、悲しく美しいと思いますよ。


反ナチレジスタンスは、おまえらにかかると暴徒に化ける、間違いなく。
おまえらを支持するヤツらがいるとしても、それは社会の極少派であり、言ってみればゴミみたいなもんだ。

おまえらは100年、いや1000年経ってもこの日本という国の主流にはなれない絶対に。
断言する!

有田としばき隊、カスとゴミでお似合いのカップルだぜ(爆)

arita.jpg

まさにカスとゴミ。お似合いのカップル!


 

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