駄文・散文帳
2014年01月22日 (水) | 編集 |

ケネディ駐日大使の自民族中心主義より
2014年01月19日 池田信夫blog

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きのうケネディ駐日大使が公式ツイッターで、上のような意見を表明した。

これは大使館ではなく彼女の個人的な見解のようだが、「米国政府がイルカの追い込み漁に反対する」という根拠がはっきりしない。
ネットで調べた限りでは、アメリカの海産哺乳動物保護法で「残虐な漁法による捕獲」を禁じているようだが、この法律は適用された例がないという。これはアメリカの国内法だから、大使が日本のイルカ漁に干渉する権限はない。東京都知事が「原発再稼動は許さない」というような笑い話だ。

「追い込み漁」とは残虐な漁法ではなく、イルカを湾内に追い込んで生け捕りするものだ。捕獲したイルカは、水族館に売る場合もある。もちろん殺して食う場合もあるが、アメリカ人が牛を年間3500万頭も殺しているのに比べてイルカを殺すのが残虐だという根拠はない。

動物を殺すのが「非人道的」というのも日本語としておかしい。英語でもinhumaneとなっているが、この背景には「イルカやクジラは人間に近いから殺してはいけないが、家畜は殺してもいい」というキリスト教の規範がある。これは彼らが西部開拓のとき「インディアンは人間ではないから殺していい」と考えたのと同じだ。

このようにキリスト教=普遍的真理と信じ、世界にすぐれた文明を伝道すると信じる自民族中心主義が、植民地支配やベトナム戦争(それを始めたのは彼女の父親だ)を生んだのだ。いまだにその罪を自覚していない人物が、日本に内政干渉する資格はない。


司馬遼太郎が、その著書「アメリカ素描」のなかで、「この時期、アメリカじゅうのほとんどの灯油は鯨油で、ヨーロッパやアジアのように菜種油を使っていなかった。鯨油のため捕鯨業がさかんで、しかも捕った鯨は油だけしぼって他は捨てていた。」と書いています。「日本を開国させよ。という声は、当時のアメリカ人一般が発したわけではない。捕鯨業者というただ一種類の業界が連呼しつづけた声だったのである。まことに日本の鎖国はアメリカの鯨とりたちにとっての損害だった。かれらはロビイストを使って政界に働きかけた。ペリーの艦隊が出てゆくにいたる発射薬はそれのみでないにしても、最大の要素の一つだった。」と。

米国は自国の歴史を忘れてしまって、他国の捕鯨を反対している。米国に限らず、他国の批判をする前に、自国が何をしてきたか、今一度振り返ったら良い。特に米国は、他国で年がら年中戦争をしている国です。ベトナム戦争では枯葉剤を使用した。

「アメリカのニクソン大統領は、ベトナム戦争の泥沼化で高まった反政府世論をかわし、政府のイメージ回復をはかるため、クジラやイルカなど海洋哺乳類の保護を重要な政策として打ち出した。米国民の目が、ベトナムの「枯葉剤」から「捕鯨国の残虐行為」に移ることを狙った作戦だった。」
→ 捕鯨をめぐるゆがんだ戦い

ベトナム戦争を始めたのは、ケネディ駐日大使のお父さんですね。

幕臣時代の福沢諭吉ですがWikipediaによると「文久元年(1861年)の冬、文久遣欧使節を英艦・オーディン号で欧州各国へ派遣することとなり、文久2年1月1日(1862年1月30日)、福澤も翻訳方としてこれに同行することとなった。途上、立ち寄った香港で植民地主義・帝国主義を目の当たりにし、イギリス人が中国人を犬猫同然に扱うことに強い衝撃を受ける。」とあります。慰安婦問題でも日本だけが批判されたりしていますが、欧米諸国の非人道的な歴史は衝撃的です。

インディアスの破壊についての簡潔な報告
2014年01月19日 池田信夫blog

ケネディ大使はアメリカ大陸の歴史をご存じないようだから、貴重な一次資料を紹介しよう。本書はドミニコ修道会の宣教師が1552年に発表した現地報告である。英訳もあるので、大使館の職員が大使に教えて、イルカ漁とどっちが残虐か考えてほしい。

キリスト教徒は馬にまたがり、剣と槍を構え、インディオを相手に前代未聞の殺戮や残虐な振る舞いにひたり始めた。彼らは村々に闖入し、子供や老人だけでなく、身重な女性や産後間もない女性までも、見つけ次第、その腹を切り裂き、体をズタズタに切り刻んだ。

キリスト教徒はインディオの身体を一刀両断にしたり、一太刀で首を斬り落としたり、内蔵を破裂させたりしてその腕を競い合い、それを賭け事にして楽しんだ。母親から乳飲み子を奪い取り、その子の足をつかんで岩に頭を叩きつけたキリスト教徒たちもいた。また、大笑いしながらふざけて、乳飲み子を仰向けに川へ投げ落とし、乳飲み子が川に落ちると、「畜生、まだばたばたしてやがる」と叫んだ者達もいれば、嬰児を母親もろとも剣で突き刺したキリスト教徒たちもいた。

足がようやく地面につくくらいの高さの大きな絞首台を組み立て、こともあろうに、我らが救世主と12名の使徒を称え崇めるためだと言って、インディオを13人ずつ一組にして絞首台に吊り下げ、足元に薪を置き、それに火をつけ、彼らを焼き殺したキリスト教徒たちもいた
(図)。(pp.36-7)

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ラス・カサスは殺された原住民の数を1200~1500万人と推定したが、現在では累計で1億人近いと推定されている。この残虐行為は「キリスト教徒」がその宗教的信念で行なったことが重要だ。彼らは「大笑い」したり、12使徒になぞらえたりして虐殺を楽しんでおり、それを「非人道的」な行為だとは考えていなかった。

彼らもケネディ大使と同じく、人間(およびそれに近いイルカ)は殺してはいけないが、インディオは人間ではないと考えていたのだ。ラス・カサスは「インディオも人間である」ことを証明するために彼らの生活をくわしく記述しているが、当時これに賛成したのはモンテーニュぐらいだった(『エセ-』第31章)。

それどころか20世紀になっても、アメリカ人は西部劇で「インディアン」を虐殺する侵略者を英雄として描いた。彼らにとっては、インディアンはイルカ以下の動物だったのだろう。このようにためらいなく異民族を殺せる正義となったことが、キリスト教が世界宗教になった最大の原因である。

それは植民地支配を支える普遍主義だったが、普遍主義が普遍を生み出すとは限らない。多くの場合、それは特定の文化の独善を他国に押しつける結果になる。ここで大事なのは、ラス・カサスが描いているように、キリスト教徒が「神の導き」で新大陸を征服していると考えたことだ。

いくら戦力があっても、大義のない戦いは長続きしない。キリスト教は、このように戦争を正当化するイデオロギーとして近代国家を支えてきたのだ。キリスト教徒の多いアメリカが戦争をしょっちゅう起こすのは、このためだ。その原因が、ケネディ大使のように白人に近い生物だけを仲間とみなす「ヒューマニズム」なのである。



植民地支配とキリスト教
2014年01月06日 池田信夫blog

キリスト教と植民地支配の関係は深い。というよりキリスト教が世界宗教になったのは植民地支配のおかげだ、と田川建三氏はいう。
(中略)
このようにキリスト教は、ローマ帝国が植民地を間接統治するのに適した宗教になった。それが特定の国家権力に依存する「御用宗教」では植民地の住民は信じないだろうが、キリスト教を生んだのは祖国をもたないユダヤ人であり、それを信じて広めたのは民衆だった。キリスト教は、TCP/IPのように無色透明なデファクト・スタンダードとして世界に普及したのだ。

しかしキリスト教が入り込めなかった国もある。その最たるものが日本で、キリスト教徒は人口のわずか1%だ。その最大の理由は、植民地支配を受けなかったからだ。西洋諸国が植民地を支配するとき、その尖兵として宣教師が使われる。彼らも後進国に文明を伝えるために(国家の補助を受けて)布教するが、日本にはその必要がなかったのだ。

多くの国では、部族を超えた「国家」の意識はない。南スーダンのような部族紛争は、世界各地でいつも起こっている。こうした地域で近代国家を建設するには、各地の土着宗教を超える精神的な普遍主義が必要だが、日本では徳川幕府がキリスト教を弾圧したので、そういう価値体系がなかった。そこで500年ぐらい休眠していた天皇家が呼び出されたのだ。

したがって明治以降の天皇制は、キリスト教の出来の悪い代用品である。神の名のもとに殺された人の数は天皇よりはるかに多く、1億人を超える共産主義といい勝負だろう。共産主義も「キリスト教マルクス派」と考えれば、その破壊力は天皇制の比ではなく、これを使いこなすのに西洋諸国は1500年以上かかった。安易に「英霊」を呼び戻すのは危険である。

 

 

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