駄文・散文帳
2013年03月03日 (日) | 編集 |

タマ


2020年夏季オリンピックには6都市が正式に立候補しました。2011年9月1日に立候補の申請が締め切られ、翌2日に国際オリンピック委員会(IOC)が、アゼルバイジャンのバクー、カタールのドーハ、トルコのイスタンブール、スペインのマドリード、イタリアのローマ、日本の東京の6都市。そのなかのトルコのイスタンブールは、1次選考でインフラ面や交通面で指摘を受けたのでした。ボスポラス海峡にかかっている大きな橋が、朝夕の車で異常なほど渋滞するらしい。現在は日本企業の大成建設が請け負った地下鉄工事で海底トンネルを掘っている様子がテレビでも報じていました。しかし、地下鉄にしても遺跡にぶつかれば工事は一時中断となるので、スムーズに出来上がるかどうか分からないとか。トルコは親日的なお国柄ですから、五輪招致ではライバルですが、友好を深めていきたいですね。

さて、そのトルコで、日本人215人を救出したトルコ航空機の元機長、オルハン・スヨルジュさんがお亡くなりになったそうです。

心より ご冥福をお祈り申し上げます。


<トルコ航空>日本人救出の元機長が死去、87歳
毎日新聞 3月1日

イラン・イラク戦争中の1985年、テヘランに取り残された(87)が先月24日、イスタンブールで死去した。トルコと親交のある和歌山県が1日、発表した。在イスタンブール日本総領事館によると、病死とみられる。

 イラクがテヘラン空爆を開始した際、日本の航空機が就航しておらず、脱出のために空港に押し寄せた在留日本人が孤立。トルコ政府が救出のため特別機2機を派遣した。スヨルジュさんはこのうち1機の機長。その功績で06年、旭日小綬章を受章した。



日本とトルコの友好の歴史は、1890年(明治23年)から始まりました。トルコでは遭難した軍艦「エルトゥールル号」の救出劇を語り継ぎ、小学校の教科書にも載せていたのでした。

「エルトゥールル号事件とは、外務省ホームページによると、明治天皇の親書の答礼として1890年に、オスマン・パシャ提督率いる総勢650名の使節団が軍艦エルトゥールル号に乗り1890年に日本へやってきた。しかし、帰路、同使節団は和歌山県串本町大島の沿岸で台風により沈没してしまう。結果、オスマン提督含む587名の乗組員が死亡する惨事となったが、付近住民の献身的な救助により69名の乗組員を救出。後に日本海軍の巡洋艦によりトルコへ帰国した、というもの。」
→ トルコ人100人に聞きました! エルトゥールル号事件を知っていますか?

エルトゥールル号事件から14年後に勃発した日露戦争で、日本海軍がトルコと対立していたロシアのバルチック艦隊を破ったことも親日感醸成につながったようです。


講演:戦時中トルコが助け船 「恩返しの救出」体験語る 元日産自動車社員・沼田さん、大島小で /和歌山
毎日新聞 2013年01月24日

◇遭難軍艦、友好の歴史

 日本とトルコの友好の歴史を学んでいる串本町須江の町立大島小学校で23日、28年前のイラン・イラク戦争時に滞在先のイランからトルコ航空機で救出された元日産自動車社員の沼田準一さん(70)=東京都羽村市=が子どもたちに講演した。同町の紀伊大島沖で1890年に遭難したトルコ軍艦「エルトゥールル号」から町民が乗組員69人を救助したことが両国友好の原点となっており、アルジェリアの人質事件が起きる中、沼田さんは「トルコ政府は、大島の先人が軍艦乗組員を救助した恩返しに自分たちの命を助けてくれた」と語り、地道な国際交流の大切さを訴えた。

 同小の児童らは毎年11月、島にある軍艦遭難慰霊碑を地域住民と一緒に清掃したり、遭難者の追悼式典で追悼歌を披露したりしている。一昨年と昨年には、トルコの人たちに助けられた沼田さんに救出当時の心境などをメールで質問し、今回の訪問が実現した。

 イラン・イラク戦争当時、沼田さんは日産自動車の海外技術協力部員として、部下4人を連れてイランの首都テヘランに居住していた。

 沼田さんによると、当時のイラクのサダム・フセイン大統領は1985年3月17日、イラン上空の封鎖を宣言し、「48時間後、イラン領空を飛ぶ航空機は安全の保証はない」と通告。翌18日、日本政府から「航空機の安全の保証がなく、救援機は飛ばせない」との連絡は入った。欧州各国は自国民の救出に精いっぱい。「国に見捨てられた」と絶望した。

 しかし、19日未明、「トルコ航空が日本人のために救援機を飛ばす」と連絡が入り、跳び上がって喜んだ。ただ、軍艦遭難の歴史を知らず、「なぜトルコが助けてくれるのか」と信じられなかった。結局、日本人215人はトルコ航空機によってトルコに逃れた。

 沼田さんは子どもたちに「軍艦沈没の時に大島の人が命懸けで助けたので、トルコ人が私たちを助けることにつながった。清掃活動などで友好を続けている皆さん、ありがとう」と頭を下げた。

 講演には、町立大島中学校の生徒も参加した。同中2年の生徒会長、中村幸紀さん(14)は「貴重な体験を話してもらった」と話した。



講演:串本町長、日本とトルコ友好の礎「先人の偉業後世に」−−和歌山城南RC /和歌山
毎日新聞 2013年02月15日

国際ロータリー第2640地区のインターシティミーティング(担当・和歌山城南ロータリークラブ)がこのほど和歌山市手平2の和歌山ビッグ愛で開かれ、田嶋勝正・串本町長が「日本・トルコ友好の礎〜先人の偉業を後世に伝えるために」と題して講演した。

 1890年9月16日、トルコ軍艦エルトゥールル号が串本町大島の沖合で座礁沈没。乗組員618人が夜の荒海に投げ出された。地元住民は生存者69人を救出し、献身的に世話をした。

 田嶋町長は「帰国した69人は心温まる日本での救出劇を語り継ぎ、小学校の教科書にも載せている」と紹介。イラン・イラク戦争さなかの85年3月、トルコが救援機を飛ばしてイランに滞在していた日本人を救出してくれたことに触れ、「トルコのオザル首相は記者の質問に『95年前、日本がトルコ人を助けてくれた。だから当たり前のことだ』と答えた。『エルトゥールル』の物語を後世に伝えたいという思いから、今秋映画の撮影が始まるが、日本とトルコ両国民が発する平和のメッセージでもある」と話した。



2011年11月には、トルコ東部大地震の救援活動中に亡くなったNPO法人職員の宮崎淳さんの銅像をトルコ国内の黒海に臨む「ミヤザキ・パーク」と名付けられた公園に設置することになりました。トルコでは、宮崎さんが亡くなった東部ワン市の大学内の診療所や高校の実験室、イスタンブール市の防災用の公園など、既に複数の場所に宮崎さんの名前を冠した名称が付いているそうです。


トルコ:宮崎さん忘れない…地震救援、死亡 銅像も設置へ
毎日新聞 2013年02月03日

11年11月、トルコ東部の大地震の救援活動中に亡くなったNPO法人職員の宮崎淳(あつし)さん(当時41歳)=大分市出身=の銅像が今夏、トルコ国内の黒海に臨む「ミヤザキ・パーク」と名付けられた公園に設置される。「被災者を救おうとトルコまで来てくれた宮崎さんのことを忘れないように」と、公園がある市の市長が企画した。宮崎さんの母恵子さん(69)は「悲しみは癒えないが、遠いトルコの方々が息子の活動をたたえてくれて元気が出る」と話している。

 トルコ東部をマグニチュード7.2の地震が襲ったのは11年10月。多数の人々ががれきに閉じ込められた。宮崎さんは東京都のNPO法人「難民を助ける会」の職員として被災地に入ったが、11月9日の余震で宿泊先のホテルが倒壊し、亡くなった。会に入ったのは約3カ月前で、トルコは宮崎さんにとって初めての海外支援国だった。

 銅像が設置されるのはトルコ西部のゾングルダク県コズル市。地元の芸術家が宮崎さんの顔写真を基に高さ約2メートルの銅像を制作した。昨年夏に市長と会った同県出身で福岡市在住のエンシジ・ムラートさん(36)によると、制作費を市が予算化した。市長は「東日本大震災後の報道を見て、日本人の我慢強さに感動した。その後に、トルコで日本人が犠牲になり、とても悲しかった」と話していたという。公園には既に「ミヤザキ・パーク」と書かれた看板がある。

 ◇各地の公園、診療所に「ミヤザキ」命名

 「難民を助ける会」によると、トルコでは、宮崎さんが亡くなった東部ワン市の大学内の診療所や高校の実験室、イスタンブール市の防災用の公園など、既に複数の場所に宮崎さんの名前を冠した名称が付いているという。特に被災地では宮崎さんの名前は多くの市民の記憶に残っているといい、恵子さんは「昨年5月に被災地を訪れた時に、子供たちからも『宮崎さん』と声をかけられ、胸が詰まった」と話す。

 「難民を助ける会」の堀江良彰事務局長は「宮崎さんが聞けば、照れくさがると思うが、彼の気持ちが銅像のような形で現地に残るなら、うれしい」と話している。

 

 

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