駄文・散文帳
2012年11月01日 (木) | 編集 |

ミルコ・デムーロ、天皇陛下の前で跪いて礼をする




10月31日
2012.10.31 [産経抄]

 清々(すがすが)しい思いでその場面を見た。28日、東京競馬場で行われた秋の天皇賞の後のことだ。エイシンフラッシュ号でレースを制したミルコ・デムーロ騎手が正面スタンド前で馬を下りた。芝に片ひざをつき、貴賓室の天皇、皇后両陛下に深々と頭を下げたのだ。

 ▼デムーロ騎手はイタリア人である。日本でも大活躍していることは競馬ファンなら誰でも知っている。極めて真面目な親日家なのだそうだ。それにしても、勝利の興奮の中でも両陛下への礼節を忘れないその所作に、こちらが頭を下げたくなった。

 ▼それで思い出したのは、9月に開かれたあるパーティーの席だ。乾杯役をつとめたのは、英国人ジャーナリスト、ヘンリー・ストークス氏だった。英語で日英の近代史などについて語った後、日本語でこう「音頭」をとった。「天皇陛下バンザイ!」。

 ▼ストークス氏は長くタイムズ紙東京支局長などをつとめた。三島由紀夫と最も親しかった外国特派員としても知られる。日本文化に造詣が深いジャーナリストの思いがけぬ「音頭」だった。会場がいっぺんになごやかな空気に包まれたことは言うまでもない。

 ▼デムーロ騎手にしてもストークス氏にしても自然な形で、両陛下に敬愛の念を示した。それぞれの母国の精神風土がもつ懐の深さだろう。大統領が天皇陛下に謝罪を求めたり、日本文化を理解せず靖国神社参拝を非難したりする。そんな近隣諸国とは雲泥の差がある。

 ▼もっとも逆の立場で、日本人が他国の国王や女王に礼を失せずにすませるのか気になる。教育現場では相変わらず国旗、国歌を無視する教師があとを絶たない。しかも一部のマスコミがこれをあおるようなら、いささか心もとない。



東京競馬場で28日、「秋の天皇賞」が行われ、天皇、皇后両陛下が観戦されました。陛下の即位後、両陛下で競馬に足を運ばれたのは平成17年秋の天皇賞以来、7年ぶり2回目だそうです。馬券は購入されなかったようです。

レースは5番人気のエイシンフラッシュが制し、騎乗したデムーロ騎手が馬から下り、片ひざをついて両陛下に向かって一礼。貴賓室で双眼鏡をのぞきながら熱心に観戦していた両陛下は、立ち上がって拍手を送られたのですね。


アイゼンハワーもケネディも「日本に主権」認めるより一部抜粋
2012.10.8 MSN産経ニュース

尖閣諸島の日本への返還前、米国のアイゼンハワー、ケネディ両大統領が尖閣の主権の日本への帰属を明確に認めていたことを示す米議会の公式報告書が明らかとなった。米国はその後、尖閣の主権について「中立」を主張するようになったが、過去に主権を認定した意味は大きいといえる。

 両大統領のこの記録は米国議会調査局が2001年11月、上下両院議員の法案審議用資料として作成した「中国の海洋領有権主張=米国の利害への意味」と題する報告書に掲載された。



大統領執務室で何が語られていたのか?
「尖閣は日本領」と認めていたニクソン政権

2012.10.31 Japan Business Press

1971年10月に米国議会上院が開いた沖縄返還協定の批准に関する公聴会では、ニクソン政権の代表たちが「尖閣の主権についてはどの国の主張にも与しない」と言明したのだった。つまりは「中立」である。

 しかしここで注目すべきなのは、そのニクソン政権でさえも、その上院公聴会の数カ月前までは実は尖閣の主権の日本帰属を認めていたという事実である。

 この事実は、日本ではこの10月初め、時事通信が報じたニクソン政権当時の記録によって明らかとなった。時事通信のこの報道は1971年6月、当時のニクソン大統領がホワイトハウスのオーバルオフィス(大統領執務室)で国家安全保障担当のヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官と交わした会話の内容を明らかにしていた。

 その会話は当時もちろん秘密とされていたが、長い年月を経て解禁された。カリフォルニアのニクソン大統領図書館にその記録が音声資料として保管されていたのだ。

 同資料の主要部分はすでに時事通信によって報道されたが、その全文を改めて入手して、内容を点検してみた。その中の尖閣関連部分を原文に忠実に翻訳紹介してみたい。そうすれば当時のニクソン政権の首脳が尖閣について本来はどう考えていたのかが、立体的に明確となるだろう。

キッシンジャー 「1951年に対日講和条約が調印されたとき、尖閣諸島は沖縄施政権の一部に組み込まれ、米国が施政権を得て、日本が(尖閣を含む沖縄の)主権を得ました。中国が当時、反対を唱えたということはない。その結果、われわれは尖閣諸島を沖縄諸島の一部として扱うことにしました。51年に米国はすでに日本に尖閣の残存主権を与え、その後、そのことはどの国からも異論を提起されなかったからです。であるのに、いまの段階で突然、尖閣の主権の問題を再提起することは沖縄返還交渉全体を壊しかねません」

ニクソン 「そうだ、われわれはそんなことはできない」


 さて、以上の会話の背景にはこの時点で米国と正規の国交があった中華民国(台湾)政府の代表が尖閣諸島の主権を主張してきたという新たな展開があった。

 台湾の動きは唐突なものだった。台湾はそれまで尖閣の主権について何も主張しなかったのに、沖縄の日本返還が近づいたときに、尖閣諸島も沖縄の一部として米国から日本に返されることが分かって、米国に抗議してきた、というのである。

キッシンジャー 「それで調べてみると、台湾がかつて日本に併合されたとき、尖閣諸島は沖縄県に編入されたことが分かりました。1945年に台湾が中国に返されても、尖閣諸島は沖縄側に残されました。1951年には尖閣は対日講和条約の一部に含まれ、日本の沖縄に対する日本の残存主権は米国によって認められました。

(尖閣は沖縄に含まれて、その主権に関する)大きな決定がそこで下され、この(1971年)4月に中国(台湾)が突然、問題を提起するまでは、尖閣諸島に関しては一切、なんの特別な交渉もなかったのです。この時点では尖閣諸島はすでに日本に返還される沖縄に自動的に含まれ、米側の手をも離れてしまったのです。これが私が再現できる(尖閣についての)歴史です」

キッシンジャー 「もし6カ月前に提起されていたら、いくらかは違うかもしれない。しかし、もしいま(尖閣主権を改めて)提起したら、沖縄返還協定を破壊する意図的な試みとして(日本側に)映るでしょう。米国がもしこの問題を提起するとすれば、もっとずっと早くに提起すべきだった。いまとなっては尖閣の主権は戦争でも起きない限り、日本に戻ることになるのです」

キッシンジャー 「さらに歴史をたどるならば、琉球列島米国民政府の唯一の当事者だった米国は1953年にその統治の具体的な境界線を改めて発表し、その中には尖閣諸島も含めていました。その線引きに対し中国側は抗議をしませんでした」


以上の記録からニクソン政権も当時、尖閣諸島を日本領だと認めていたことが再三、明らかにされたと言える。

ニクソン政権をも含む米国の歴代政権が尖閣諸島への日本の主権を認めていたという歴史的な経緯は大きな重みを持つ。今回、詳しく紹介した記録は、その重みを立証する貴重な資料だと言えよう。

 

 

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