駄文・散文帳
2011年12月05日 (月) | 編集 |


増税案の成立前解散50% 不支持率40%に上昇 共同通信世論調査
2011.12.4 16:40

 共同通信が3、4両日に実施した全国電話世論調査で、消費税増税法案の成立前に衆院解散・総選挙を実施すべきだとの回答が50・7%と半数を超えた。首相が主張する「法案成立後、増税実施の前」の25・4%を大きく上回っており、政権運営に影響を与えそうだ。野田内閣の支持率は44・6%で、前回11月調査より2・5ポイント減。不支持率は6ポイント増の40・3%に上昇した。

 政党の枠組みに関して71・5%が「再編する方がよい」と回答。「再編しなくてもよい」は17・8%にとどまり、既成政党への不信感が浮き彫りになった格好だ。「大阪維新の会」のような地域政党についての期待は「どちらかといえば」を含め72・4%で、期待しないとしたのは24・6%だった。



世論調査によりますと、政党の枠組みに関して71・5%が「再編する方がよい」と回答。また、消費税増税法案の成立前に衆院解散・総選挙を実施すべきだとの回答が50・7%と半数を超えたそうです。当然ですね。大阪のW選挙で橋下徹新市長を代表とする政治集団「大阪維新の会」が圧勝したことで、それぞれの既存政党に存在の根拠を問いかけ、既存政党への国民の不信感が高まりました。平松市長、応援した民主党・自民党・共産党・労働界・マスコミの既得権益グループは形無しですね。今回の結果により、中央集権体制・日教組や自治労など55年(既得権)体制を終わらせる可能性が出てきました。そして、民主党は割れるでしょう。必ず。


「犯す前に…」発言、琉球新報のオフレコ破りを考える
2011.12.4

確かに田中前局長の発言は、報道されれば沖縄県民をはじめ国民が怒るのは当然の内容です。ただ、私は田中氏の懇談会が「オフレコ」という約束で行われたにもかかわらず、琉球新報が報道に踏み切ったことは、今後の取材活動、ひいては取材、報道の自由、国民の知る権利にも多大な影響を与える可能性があると懸念しますので、今回はこの問題を考えたいと思います。



琉球新報は、護憲や左派勢力の退潮にも関わらず、非武装中立を主張し日米安全保障条約にも批判的。在日米軍の駐留にも(軍事行動以外の事柄に対しても)批判的で、東日本大震災の際のトモダチ作戦(救援活動)に対しても売名目的と厳しく批判していました。内閣府が3日発表した「外交に関する世論調査」の結果によると、米国に
「親しみを感じる」と答えた人は「どちらかというと感じる」を合わせて82・0%で、昭和50年の調査開始以来初めて8割を超え、最高となったそうです。内閣府は「東日本大震災での『トモダチ作戦』により、献身的な支援をしてくれたことが要因ではないか」と分析していますが、琉球新報は沖縄県民の反米感情を煽る一方ですね。琉球王国だった頃の宗主国・中国の方が米国よりマシとか考えているのでしょうか? 言論の自由が無く、一党独裁の中国、1億人といわれる大虐殺を行った毛沢東がつくった中華人民共和国…。日本だからこそ、琉球新聞は言いたい放題のことを書けるのと違いますか? 今回の「オフレコ」という約束を破った罪は大きい。他の新聞社にも多大な迷惑をかけていると思います。


女性宮家問題 男系の歴史踏まえ熟議をより一部抜粋
2011.11.26

女性宮家創設は有意義な提案である。しかし、皇族の裾野を広げる方策は、女性宮家創設にとどまらない。戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の方針で皇籍離脱を余儀なくされた旧皇族の皇籍復帰も有力な方法だ。

 皇統は男系継承が維持されてきた。8人の女性天皇がいたが、いずれも皇后か未婚の皇女で、男系の血を引かない女系天皇の例はない。女性宮家創設を安易に女系天皇容認につなげてはならない

 男系維持のため、小堀桂一郎氏が今月23日付「正論」欄で指摘したように、女性皇族が皇統につながる男子と結婚された場合に、その次の世代の男子に皇位継承権を与えるという考え方もある。

 小泉純一郎内閣の平成16年末、「皇室典範に関する有識者会議」が設置され、わずか1年で「女性・女系天皇容認」「男女を問わず長子優先」の報告書が出された。これに先立ち内閣官房が女系天皇を認める極秘文書を作成しており、「初めに結論ありき」の拙速な議論だったことは否めない。

 男系で維持されてきた日本の皇統の歴史を踏まえたうえで、将来の皇位継承問題を時間をかけて議論すべきだ。



男系で維持されてきた日本の皇統の歴史を大事にしたい。これを変えることは天皇制を壊すことに繋がります。


さて、今年も「坂の上の雲」がスタートしました。原作を何度読んでも、当時の日本人の気概に胸が熱くなる場面が多い。ドラマのオープニングもいいですね。


まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。
小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。
産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年のあいだ読書階級であった旧士族しかなかった。
明治維新によって日本人は初めて近代的な「国家」というものをもった。
誰もが「国民」になった。
不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者として、その新鮮さに昂揚した。
この痛々しいばかりの昂揚が分からなければ、この段階の歴史は分からない。
社会のどういう階層の、どういう家の子でも、ある一定の資格をとるために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも、官吏にも、教師にも、軍人にも、成り得た。
この時代の明るさは、こういう楽天主義から来ている。
今から思えば、実に滑稽なことに、コメと絹の他に主要産業のない国家の連中は、ヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした、陸軍も同様である。財政の成り立つはずがない。が、ともかくも近代国家を作り上げようというのは、元々維新成立の大目的であったし、維新後の新国民の少年のような希望であった。
この物語は、その小さな国がヨーロッパにおける最も古い大国の一つロシアと対決し、どのように振舞ったかという物語である。
主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれないが、ともかく我々は三人の人物の跡を追わねばならない。
四国は、伊予松山に三人の男がいた。この古い城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争が起こるに当って、勝利は不可能に近いと言われたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。
その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコルサック師団を破るという奇跡を遂げた。
もう一人は、俳句短歌といった日本の古い短詩形に新風を入れて、その中興の祖となった俳人・正岡子規である。
彼らは明治という時代人の体質で、前をのみを見つめながら歩く。
上って行く坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。



12月3日土曜日、朝6時ごろ千葉県南部を震源とする地震がありました。マグニチュード M5.2 、最大震度4。東北沖で巨大地震が発生したときには首都直下地震が10年以内の間隔で必ず発生しているそうです。


強くしなやかな瑞穂の国を造る「国土の強靱化」をより一部抜粋
2011.11.21

過去2千年の歴史を振り返れば、今回のように東北沖で巨大地震が発生したときには、首都直下地震が「10年以内」の間隔で「必ず」発生している。そして、西日本を中心に巨大な破壊をもたらす東海、南海、東南海地震は、東北沖の巨大地震の4例中、実に3例において、「18年以内」に発生している。

 あれだけの巨大な地殻変動が生じた場合には、その周辺の断層やプレートの境界面の破断が一気に連動する危惧が、極限にまで高まってしまうからだ。そして、それらの巨大地震は、あろうことか、戦後とりわけ肥大化した三大都市圏を中心とした地域を直撃し、被害総額も200兆円から、場合によっては500兆円を上回るほどの破壊をもたらすであろうことが、科学的に予期されている。

 

 

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