駄文・散文帳
2010年03月12日 (金) | 編集 |


エコロジーという自民族中心主義
池田信夫blog 2010年03月10日

和歌山県のイルカ漁を撮影した映画"The Cove"がアカデミー賞を受賞した。私はその映画を見ていないが、受賞の言葉で「日本人はイルカを食うべきではない」などと語っているのを見ると、その政治的意図は明らかだ。この種の過激派は、グリーンピースやシーシェパードなどよくあるが、アカデミー賞を受けたとなると、その影響は無視できない。

イルカを年2万頭殺すことが残虐なら、年3500万頭の牛を殺すアメリカ人は何なのか。デリダもいうように、高等動物と下等動物の区別には意味がなく、人間と動物の境界も恣意的なものだ。たとえば新生児を殺したら殺人だが、妊娠3ヶ月で中絶するのは犯罪にはならない。逆に、かつては老人を「姥捨て山」に遺棄することは犯罪ではなかった。殺してはならないものの境界を決めるのはそれぞれの時代や地域の文化であり、絶対的な基準はない。

ところがキリスト教文化圏は、すべての人類に普遍的な倫理があると信じる特異な地域だ。さらに人間が神の姿に似せてつくられたという特権意識をもち、すべての動物は人間のために殺されるのが当然だと考える人間中心主義が強い。「イルカは賢いから殺すな」という主張の根底には、黒人などの「劣った民族」は殺しても奴隷にしてもよいという自民族中心主義がある。

これが昂じると、「地球を守れ」という倒錯したキャンペーンになる。冷静に考えればわかるように、人間が自然の中心として地球を守るという思想は、天動説にも等しい。地球上の生物の圧倒的多数はバクテリアであり、人類が死滅しても地球上の生態系にはほとんど影響しない。太古のままの地球を守ることが環境保護だとすれば、そんな自然はすでにほとんど存在しないし、それを守ること自体には何の意味もない。環境保護は、あくまでも人間の問題なのである。

ホルクハイマー=アドルノも指摘するように、自然を支配の対象と考える啓蒙的な合理主義が自然破壊をもたらしたが、それによって近代社会は歴史上、類のない豊かさを実現した。啓蒙が反自然的だという批判は正しいが、それを否定するなら、自然を搾取する産業社会を捨て、すべての動物の肉を食うのをやめ、化石燃料をやめて山の中で隠遁生活をするしかない。

いいかえれば、無数の生命を虐殺し、自然を破壊することは近代人の原罪であり、この罪から無縁な人間はいないのだ。それを認識しないで、CO2の削減が「文明の転換」だなどという経済学者は、西洋文明への無知をさらしている。欧米人が彼らの自民族中心主義を信じるのは自由だが、そういう偽善を無批判に輸入して「地球のいのちを守れ」と施政方針演説で語る首相は、日本の恥である。




「シーシェパード」「捕鯨」「クロマグロの国際取引」「イルカ漁の盗撮」などに対抗できるアクションが日本からは出てきませんね。このまま叩かれっ放しで良いのでしょうか? 2年前、GM・ゼネラルモーターズを抜き、世界最大の自動車メーカーとなったトヨタも、訴訟の対象として狙われやすくなったように思います。

日本の国力が弱くなっている?

作物や牧草を守るため年間300万頭余の野生のカンガルーを撃っているオーストラリア。鯨油のために捕鯨業を盛んに行い、獲った鯨は油だけしぼって他は捨てていた米国。年間3500万頭の牛を殺す米国。ヒンドゥー教徒にとって神聖な存在である牛を屠殺しているわけですが、ヒンドゥー教徒は世界に向けて牛の屠殺を禁止しようとは言わない。

いみじくも小沢一郎幹事長が「キリスト教は排他的で独善的な宗教だ。キリスト教を背景とした欧米社会は行き詰まっている。」と言いましたが、キリスト教文化圏は独善的、加えて偽善に満ち溢れているように思います。「やらない善より、やる偽善」とはいえ、「独善」プラス「偽善」には辟易する。

白人は、有色人種にしてきた歴史を忘れてしまったのでしょうか。池田信夫さんが指摘しています。「イルカは賢いから殺すなという主張の根底には、黒人などの劣った民族は殺しても奴隷にしてもよいという自民族中心主義がある。」と。さらに、「そういう偽善を無批判に輸入し『「地球のいのちを守れ』と施政方針演説で語る首相は、日本の恥である。」と述べています。

鳩山首相が国民の合意も納得も得られていないまま「あらゆる政策を総動員して実現を目指していく」と発言した「二酸化炭素25%削減」も、日本の「ひとり負け」を暗示するような環境政策。民主党内からも、支持団体からも疑問の声が出ていますし、そもそも大多数の国民は納得などしていません。どのくらい国民が負担しなければ実現できないかを言わないからです。

民主党の経済政策も然り。今頃になって、小泉・竹中路線(改革推進)は正しかったと思い始めているようで、規制緩和とか法人税減税と言っていますね。小泉改革を批判して政権の座についた民主党が、小泉改革を始めるというのは滑稽な話です。



「カンガルー300万頭撃ち殺す豪州に反捕鯨の資格あるか」 国際紙がコラムを掲載
2010.2.24 産経新聞

24日付の国際紙インターナショナル・ヘラルド・トリビューンは、オーストラリアのラッド首相が、調査捕鯨をやめなければ日本を国際司法裁判所に提訴すると発言したことを、反捕鯨諸国の偽善性を指摘しながら異例の厳しさで非難したフィリップ・バウリング氏のコラムを掲載した。

 氏は、道徳的優位性をにじませたラッド発言の調子が、アジアの近隣諸国に今もくすぶる西欧植民地主義への嫌悪を呼び覚まし、日本よりも豪州のイメージを傷つけるだろうと分析。

 豪州の反捕鯨運動を、科学的ではなく感情的な「十字軍」だとし、「日本の捕鯨船を悩ましている豪州、ニュージーランド人活動家らに与えられた英雄的地位にも、それがみられる」との表現でシー・シェパードの活動も切って捨てた。

 その上で、ノルウェーが国際捕鯨委員会(IWC)の規制を拒否、アイスランドがいったんは脱退し、カナダは脱退後、復帰していないのに対し、日本は少なくともIWCに属していると日本にも理解を示し、ラッド発言は捕鯨諸国にIWCに協力する気をなくさせるものだとやり込めた。

さらに、「鯨に銛(もり)を打ち込むことは、牛や羊の肉を常食としている者の間にさえ感情をかき立てるのかもしれないが、豪州は、作物や牧草を守るため年間300万頭余の野生のカンガルーを撃っているときに、苦情を言える立場にはほとんどない」と、反捕鯨国の偽善性にまで踏み込んだ。

 西洋人が東洋での犬肉消費にゾッとするのは感情からで理性ゆえではなく、鯨肉を、一部欧州国の食卓に乗る馬肉と違う扱いにする道理はないとも断じた。

 そして、「豪州が選別的感情の問題をアジアの主要同盟国との外交対立にまでしたのは愚劣以外の何物でもない」と結んでいる。

 

 

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コメント
この記事へのコメント
No title
海外でやってるからところがあるから和歌山もやっていいという理屈にはならない。
極狭い範囲の視野しかない土着の発想。話のすり替え。

昔から鯨を食べる習慣は日本全国にある。
動物性栄養源を漁業に依存してた島国日本は、鯨(特に大型)を貴重な資源として活用し、文化にも取り入れてきた。
更につい数10年前迄、欧米諸国でも捕鯨をしていた国も多々あるので、一部の異常なバッシングに対し十分釈明の余地はある。
実際知り合いのアメリカ人の殆どは、捕鯨は(規定付きで)仕方ないと納得している。

が、イルカを食べる習慣は和歌山の極限られたエリアのみで、普通の日本人には考えられない。
イルカを食べないと餓死する訳でもあるまいし、唯土着の原始的な習慣というだけで意地を張って継続し日本人全体から白目で見られる原始的な行為は廃止せよ。

古今東西捕鯨の習慣は世界各国にあったが、犬猫を食べる習慣が極レアなように、イルカを食べる習慣も極レアである。その為に普通の日本人まで誤解されかねない。

美しい人ものや可愛いものが世界中で持て囃されるように、自然界には違いの基準というのが渾然と存在する。 それを道理という。 イルカを食べるのは犬猫を食べるようなもの。
自然界の道理に反した原始的な習慣「イルカ漁」は、即廃止すべきでしょう。

イルカを食っていけないのは理屈抜きで一般常識の話。
日本人には、大型のヒゲ鯨を食べることに抵抗ない人はまだまだ多いが
イルカとなると「ゲッ、イルカ!?」と、拒絶反応する人が殆ど。

それは昔から、一般日本人にイルカを食べるという感覚がないから。
一般日本人にとってイルカは、意思疎通ができる海のイヌや猫みたいな存在。
アンケート調査でもそういう答えが出てる。

一般日本人はイルカは食べないのが現実。
2010/03/12(金) 02:48:43 | URL | 豊中市民 #eqP7eH0Y[ 編集]
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